災害対応
災害とは地震に限らず、台風、大雨、大雪、鉄道事故、テロ、戦争
などが含まれ、局地的であり、逆に広域的であったりする。そんな想像を超える災害への対応について意見交換するために、先ずは3つのグループに分かれた。アイスブレイクとして自己紹介を行い、「聞きたいこと、独自の取組など」を話し合った。
また、話題は、被災体験やJMAT活動体験、災害訓練など多岐に渡った。 以下にその報告をする。
Ⅰ.グループディスカッション
1.富山では弾道ミサイル対策マニュアルがあり、住民避難訓練が実施されている。 2.プロパンガスを燃料とした自家発電装置がありその稼働時間は2週間。 3.浸水地域に避難場所があることが少なくない。 4.救護所立ち上げの目安は?→行政管轄 5.避難所(小中学校)に設置される救護所の場所はどこが適当か?体育館内または保健室?学校機能再開面の考慮が重要。 6.救護所に職員と会員の配置を(有無を言わさず)決めている。実行できるか? 7.自動販売機の活用。 Ⅱ.参加者より地震災害について当時の貴重な体験談を紹介頂いた。 1.東日本大震災 (1)停電になり、通信など支障が多く出た。 (2)情報収集に歩いてまわった。 (3)情報は収集と発信が大切。 (4)固定電話は3日後に復旧。 (5)報道されていない被害がたくさんあり、地元は本当に大変だった。 2.大阪北部地震 (1)職員にマウンテンバイクを支給しており、職員は医療機関の情報を収集しながら出勤した。 (2)アマチュア無線に回答した医療機関は数件だった。 (3)市内は遮断機が降りたままで、日頃からの渋滞がさらに悪化していた。移動は原付が重宝した。 (4)行政は混乱していた。 Ⅲ.JMATに従事した方から体験談を紹介頂いた。 1. 東日本大震災 (1)発災の2日後に検死作業に携わった。宿泊や食事が困難だった。 (2)発災の2週間後に避難所の巡回診療をした。 (3)発災の3ヶ月後に避難所の巡回診療をした。運転を担当したが土地勘が無い。GoogleMapの航空写真で橋の崩落を知る。 カーナビに頼ればたどり着けなかった。 (4)通常業務を終えた後、夜間に被災地を支援する生活が2ヶ月続いた。 2.熊本地震 (1)2日後に現地入りしたが地元の混乱でやれることがなかった。 Ⅳ.災害訓練について 1.支援物資車載訓練 (1)実際に熊本地震で活きた。飛行機移動の後、現地近くでレンタカーを借り、スーパーで事情を説明し支援物資を大量購入し搬入。 届けた後は速やかに帰還。 2.大規模災害訓練 (1)救護所訓練、災害対策本部運営訓練を実施。 (2)行政など関係機関との連携が今後の課題。 Ⅴ.その他 1.下記の意見があった。 災害対策マニュアルの策定、通信手段の複数確保、安否確認システムの選定と運営、災害備蓄の種類、医師会事務局の規模で 対策内容に差異がある。等 このディスカッションを通して、何時起こるかもしれない災害の備えとして、また、防災・減災対策として、一つでも地元に還元することが出来れば幸いである。 ※資料:災害対応
また、話題は、被災体験やJMAT活動体験、災害訓練など多岐に渡った。 以下にその報告をする。
Ⅰ.グループディスカッション
1.富山では弾道ミサイル対策マニュアルがあり、住民避難訓練が実施されている。 2.プロパンガスを燃料とした自家発電装置がありその稼働時間は2週間。 3.浸水地域に避難場所があることが少なくない。 4.救護所立ち上げの目安は?→行政管轄 5.避難所(小中学校)に設置される救護所の場所はどこが適当か?体育館内または保健室?学校機能再開面の考慮が重要。 6.救護所に職員と会員の配置を(有無を言わさず)決めている。実行できるか? 7.自動販売機の活用。 Ⅱ.参加者より地震災害について当時の貴重な体験談を紹介頂いた。 1.東日本大震災 (1)停電になり、通信など支障が多く出た。 (2)情報収集に歩いてまわった。 (3)情報は収集と発信が大切。 (4)固定電話は3日後に復旧。 (5)報道されていない被害がたくさんあり、地元は本当に大変だった。 2.大阪北部地震 (1)職員にマウンテンバイクを支給しており、職員は医療機関の情報を収集しながら出勤した。 (2)アマチュア無線に回答した医療機関は数件だった。 (3)市内は遮断機が降りたままで、日頃からの渋滞がさらに悪化していた。移動は原付が重宝した。 (4)行政は混乱していた。 Ⅲ.JMATに従事した方から体験談を紹介頂いた。 1. 東日本大震災 (1)発災の2日後に検死作業に携わった。宿泊や食事が困難だった。 (2)発災の2週間後に避難所の巡回診療をした。 (3)発災の3ヶ月後に避難所の巡回診療をした。運転を担当したが土地勘が無い。GoogleMapの航空写真で橋の崩落を知る。 カーナビに頼ればたどり着けなかった。 (4)通常業務を終えた後、夜間に被災地を支援する生活が2ヶ月続いた。 2.熊本地震 (1)2日後に現地入りしたが地元の混乱でやれることがなかった。 Ⅳ.災害訓練について 1.支援物資車載訓練 (1)実際に熊本地震で活きた。飛行機移動の後、現地近くでレンタカーを借り、スーパーで事情を説明し支援物資を大量購入し搬入。 届けた後は速やかに帰還。 2.大規模災害訓練 (1)救護所訓練、災害対策本部運営訓練を実施。 (2)行政など関係機関との連携が今後の課題。 Ⅴ.その他 1.下記の意見があった。 災害対策マニュアルの策定、通信手段の複数確保、安否確認システムの選定と運営、災害備蓄の種類、医師会事務局の規模で 対策内容に差異がある。等 このディスカッションを通して、何時起こるかもしれない災害の備えとして、また、防災・減災対策として、一つでも地元に還元することが出来れば幸いである。 ※資料:災害対応
文責:担当幹事 松山市医師会 岸本 尚